小島麻由美『あの子は危ないよ』
小島麻由美は、以前から『眩暈』という曲に惹かれていたが、『眩暈』自体はEGO-WRAPPINに近いと思っていた。そして、EGO-WRAPPIN自体格好いいとは思うものの、やはりハマっていなかったので、小島麻由美もたまに思い出しては聞いてみる程度の存在だった。だが、最近この曲を聴いて、考えを改めることにした。とても僕好みの曲を作る人だった。
それはいつどんな時でも起こりうる崖っぷちブルース。
大きな目に涙浮かべて、あの娘はいつもあぶないよ。
ある朝目が覚めて、この世でひとりぼっちだとつぶやく。
そうだ! 大好きな人に最後の言葉お別れをしよう。
真夜中、響き渡る電話のベル、つまらせた声。
大きな目に涙浮かべて、あの娘はいつもあぶないよ。
なんかいいことないか、と幸せは風のように過ぎる。
ほんとそうだ! 大好きな人にわかってほしい。だから今すぐ。
いつどんな時にでも起こりうる崖っぷちブルース。
大きな目に涙浮かべて、あの娘はいつもあぶないよ。
解釈1
簡潔に説明すると、この詞は「好きだった人が友人のことを好きになった、あるいは、付き合い出した」直後を表現している。主人公は「崖っぷちブルース」の気分で、電話越しに「あの子はいつも危ないよ」と好きな人に伝えている状況だ。
一つずつ説明していくと、主人公は「あの子」をよく知る仲だからこそ、「いつも危ないよ」と伝えることができる。この「危ないよ」は、危険という意味ではなく、おっちょこちょいなどの意味で用いられていると考えた方が、全体から見れば自然だと思われる。
主人公は「好きな人」を諦めるために、「あの子はいつも危ないよ」と伝えている。そうすることで、「好きな人」は「あの娘」を守ってあげなくては、と考える可能性がある。つまり、主人公は自分を突き放して「あの娘」に興味を向かせようとしていると考えられる。これが「最後の言葉」であって、「お別れ」の意味が込められているのだろう。
また、時間の経過にも着目したい。「ある朝」に「目が覚めて、この世でひとりぼっちだとつぶやく」のだから、一日中思い悩んでいたと考えられる。さらに、恐らく電話をかける直前では「大好きな人にわかってほしい。だから今すぐ」と、自分の好意を伝えるべきか悩む様子が描かれている。
この詞が粋なのは、その好意を伝えるべきか悩んだ末に、最終的には自らひとりぼっちの道を進んでいくところにあるだろう。決して好きな人には伝わらない遠ざけ方で、自分だけが傷ついていく言葉選びをするあたりに、生々しさを感じると同時に、とても練られた詞だということを痛感する。「大きな目に涙」を浮かべていても、決して好きな人には察せられないように、平然と、もしけすれば明るい調子を出して「あの子はいつも危ないよ」と言おうとしていることが想像される。この主人公の報われない優しさが、暗い気持ちにさせてくる。
後半でテンポが早くなるのも、こうした不安からくる焦燥感や絶望感といったものを表現しているのかもしれない。むしろ、そう考えると、よりこの曲に惚れ込める。
解釈2
簡潔に説明すると、この詞は「精神的に不調な女の子の噂話をしている」様子を表現している。「ある朝目が覚めて、この世でひとりぼっちだとつぶやく。」や「なんかいいことないか、と幸せは風のように過ぎる。」は、女の子の視点で描かれており、「あの子は危ないよ」という台詞は仲間内で不調な女の子の噂をしている、という構図だ。この場合、全知的な視点でそれぞれを物語っていると考えることができる。
どちらの解釈においても、主題は「いつどんな時にでも起こりうる崖っぷちブルース」の一文に集約されていることは間違いないだろう。人称視点の曖昧さから生まれる視点の変化で、解釈も変わる可能性があるようだ。